2ペンスの希望

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バランス

最近の日本映画を観て強く感じるのは、バランスの悪さだ。
役者の熱演ばかりが目だって空回りしてる、とか、
映像は凝りまくって鮮明なのに、映画としては不鮮明、ゆえに共感不能、とか、
脚本が説明的、幼稚でスカスカ見るに耐えない、とかとか。
てんでバラバラ、みんな好き勝手。
先日、長く映画を見てこられたご婦人から、こんな話を聞いた。
良く出来た映画を見たときには、いい映画をみせてもらったな、としか思わない。監督の演出がすごいとか、役者が上手いとか、カメラワークがどうだったかなんて、私には
どれも残らない。

確かにその通りだ。
良く出来た映画は、個々の要素は映画の中に溶け込んで定かでなくなり、渾然一体。
総体しての映画の味わい深さだけが残る。ときに辛く、ときに甘く、塩味もあれば、酸味もある。刺激が強いときも毒気が利いていることもある。いずれ えも言われぬ滋味の至福を満喫し、幸福感に包まれて後味を噛み締める。
スタッフワーク、チームプレーの精華とはそういうものだろう。その意味では、コラボ(レーション)という言葉で語られるものとはニュアンスが違う。コラボは、個々それぞれに独立した単体の才能が共演する(協演する)ことだ。
高峰秀子さんは、「女優も監督も技術スタッフも、みなそれぞれに「一本のクギ」なのだ」と語ったが、クギはコラボなどしない。
そこで今、バランスの悪さを恢復する方途として、提起したいのがPとWへの注力だ。(続く 以下次回)