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映画館新景 トークシェア

映画館も変わった。映画の見方・見せ方・見られ方は多様化している。
トークシェア。先日大阪十三の小さな映画館(客席36席)で初めて体験した。観たのは『首相官邸の前で Tell the Prime Minister』 チラシには「歴史社会学小熊英二、初の映像監督作品」「スタッフ総勢2名、企画決定30分」「無償提供された自主撮影映像を編集」「世代・国籍・出身・地位、全てがちがう8人の体験」とあった。
多分新撮は8人のインタビューのみ、あとはネット上YouTubeにアップされた映像を探してきて全員に交渉、使用許可を得て構成編集した映画。
週末土曜日の午後、ほぼ満席だった。上映後ネットを通じて東京にいる小熊英二さんが参加、映画館と結んで質問・感想の応酬を行うというオマケ趣向「トークシェア」があることを初めて知った。 出来損ないの生煮え映画ならゴメン蒙り退散するつもりだったが、映画は悪くなかった。完成度云々より、挑発・挑戦的でシンプルな展開・練られた構成で観終えた。何より確信犯であることが伝わってくる。
トイレ休憩を挟んで「トークシェア」が始まった。司会者が立ち、冒頭、たまたま隣あった見知らぬ観客同士が1〜2分映画の感想なり自己紹介を行うアイスブレイクからスタートした。その後大きなスクリーンに小熊英二さんが登場、東京自室にいる小熊さんと観客の間で3〜40分質疑応答が続いた。
フィルム時代には考えられないデジタル環境ゆえになせる業だろう。
ODS(Other Digital Stuff:非映画コンテンツ)については、これまで否定的懐疑的だった。イベント会場化したり、集会場になることには苦言を呈してきた。その姿勢は今も基本変わらない。 映画館は映画を見るところ。落語を聴いたり、中島みゆきのコンサートを愉しんだり、スポート中継に盛り上がりたくない。実演ライブには足を運び現場の空気を吸って愉しみたい方だ。仲間内に流れる妙な同調圧力も苦手だ。監督や出演者が舞台挨拶に立つと、映画の出来がヒドクとも、お義理・おざなりの拍手が起こるのも嫌い。苦々しく思ってきた。
トークシェアは、ODSとも舞台挨拶とも異なる。本編の付帯イベントだ。
小熊さんは「上映後お話の時間を設けたのは、これまでの映画館、ひとりで観て黙って帰る形を変えたかった。自分で考えて欲しかった。人と話し合ってみて欲しかった。」と語っていた。映画本体が出来損ないではとても出来ない相談だ。観客の密度・キャパシティの問題もある。けど〈こんなのもありかな〉と思わせたことは確かだ。
ご興味の向きは⇒
http://www.webdice.jp/dice/detail/4792/
http://www.uplink.co.jp/kanteimae/diary.php