2ペンスの希望

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ローカル

「東京に行くな」って、じゃあどうすればいいの⇒映画は地元で作ればいいのである。
生活の拠点も表現の根拠も他所に求めるのではなく、自分の周り半径5mでも500mでも50km‥どれだけでも良いから自らが光源・発光体となって創(はじ)め、作り続ければ良い、そう思う。
キイワードはローカル東京は死んでいる。気兼ねも色目も必要なし。
といっても間違って貰っちゃ困るが、一時流行った“ご当地映画”(=地方のお金を目当てに東京中央のホンモノのプロスタッフがズカズカ押しかけ、出来上がったのは映画もどきの出来損ない。地元はいい様に使われ食い物にされただだけ。そんなケースもある映画のこと)を作れという話じゃないよ。切実な自分の課題・関心・世界観・美意識だけを頼りに手探りで掘り進めば、世界に通底し、普遍に突き当たるそんな営為をはじめるほうがいい、ずっと健康的。そういうことだ。単独行・単独工。
未来はもう始まっている。大阪で、京都で、神戸で、岡山で、甲府で、それぞれの身の丈に応じながら目一杯手足を伸ばし世界とつながり世界を拓こうとする試みが見渡せる。世間も料簡も狭い拙管理人にも見えるくらいだから、もっとたくさん見えないマグマが渦巻き、噴出を待っているのではないか。そんな希望的観測も生まれる。
何?スタッフがいない?役者がいない?何言ってるの、必要なら東京から出張させればいいだけのことだ。もっとも呼ぶに足るスタッフ・役者が今どれだけいるかははなはだ疑問だが。それより、ウエヴ、ネットを使ってオーディション・募集する手立てもある。企画が良く練られ、プレゼンテーションが琴線に触れれば、出会いの可能性が格段に広がったことは確かだ。
学ぶべきことは、東京にあるのではない。先行する先達の仕事・表現、過去の映画群からしこたま学べばよい。昔に比べその環境も整っている。
いまや、小説家だって漫画家だって画家だって、地方在住の作家は増えている。
かつてお金も人手も膨大に掛かると言われてきた映画製作は軽量軽便・フットワークが軽くなった。(このことの功罪についてはこれまで何度となく書いてきた。)
中央・全国制覇を目標に競争的・収奪的にナンバーワンを目指すのではなく、共存的・自給自足的なオンリーワンを創ることだ。
もっともひとつだけ、言わずもがなの釘を刺す。
地方在住だからいいわけではない。田舎は田舎、ローカル故の優位性・アドバンテージなんてない。アタリマエだが、出来不出来がすべて。
遠からず、脱東京、いや反東京映画人連合なんて包囲網が生まれることを夢想する。