2ペンスの希望

映画言論活動中です

大衆演劇②

大衆演劇、昨日の続き。
たしかにマイナーといえばマイナーだ。歌舞伎 文楽 新派 新劇 喜劇 小劇場‥‥あまたある演劇にくらべるとずっと“格下”に見られてきた。昨日の橋本正樹さんの本「晴れ姿!旅役者街道」にも、 「変容しつつある大衆演劇だが、大抵の方には、あいもかわらず間遠い演劇であると思われる。」という記述が見える。
あらゆるマスが崩壊し、マーケットは細分化した。価値観の多様化。 誰もが承知のことだ。 そうした中、後が無いゆえの必然・苦し紛れかもしれぬが、日々研究と工夫を絶やさぬ大衆演劇の姿勢には、学ぶべき点が幾つもありそうに思う。
芝居とショーを毎日すっかりいれかえて上演する。つまり一ヵ月の公演なら、三十本の芝居とショーを用意することになる。出し物につまることはない。伝統劇団だと六百本、平均で二百本のレパートリーを有している。台本をまったく用いない口立て稽古。大衆演劇はチャランンポランな即興芝居、と曲解されるかもしれない。だが驚くべき記憶力をもち、幾千幾万もの台詞とそれにともなう所作を体得している旅役者たちは、それなりの水準の舞台に仕上げる(プロでなければ務まらない仕事なのだ)。
細分化しているが故に、多くはないお客さんをグリップして深く耕す。
ひいきの役者を追っかけ、お花をつける贔屓客と、揃いのコスチュームをまとってペンライトをふり熱狂的に声援をおくるファンクラブ会員、そして、劇場周辺に住み公演にくる一座を万遍なく見ている常連客。それぞれに思い入れのつよい、三者三様の客層にささえられている大衆演劇は、芸能としてはめぐまれているのではあるまいか。
三層の顧客管理、徹底したファンサービス。いまや ウエヴも必須アイテムだ。ちょこっとネット検索すれば、工夫を凝らしたホームページ、ブログがゴマンと出て来る。劇団・役者の公式サイトからファンサイト、公演観劇記、劇場探訪まで多種多彩、賑やかだ。
映画とは異なる距離感、接近戦の世界。もうひとつ。言葉ではない“全身性”を感じる。口や頭(能書き・理屈)より胸:ハートや皮膚感覚(体感)を尊重している。
今日はここまで。
【付録】
一声二顔三姿:いい役者ぶりの三条件。歌舞伎の世界からきた口承だが、納得する。 声音・口跡>表情・面差>所作・佇まい 三拍子揃ってこそ役者。