2ペンスの希望

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イメージが外へ出てゆく瞬間

『こども映画教室のすすめ』という本を読んだ。【2014年5月 春秋社刊】
はっきり申し上げて、大半は「幼稚」な内容だった。(幼稚だからダメだ、と言ってるわけじゃない。子供たちに「映画」を教えていくためには、「幼稚園」も必要なのだろうから。
けど、曲がりなりにも映画の現場を歩いてきたすれっからしには、物足りなかったということ。) なかで、羽仁進・是枝裕和の対談だけは面白かった。
実作者としての現場経験に裏付けられたリアルが語られていたからだ。
記録映画『絵を描く子どもたち』を撮影したときのことを羽仁はこう語る。
こどもが「実際にやっていることを映す」ことには興味がなかった。こどもを自分と同じようなものだと考えれば、自分が実際にやっていることのほかに、心の中に夢みたいなものがある。そういうものを掴もうとする瞬間が必ずある気がしていたのです。僕はその瞬間が大切だと思って、そこを撮りたかったのです。イメージが外へ出てゆく瞬間みたいなものを撮りたかった。」「(子供たちは‥)自分のなかにあるものが、よくわかっていて、飛ぼうとしている瞬間を求めている。僕はそういう瞬間だけを追いかけて撮ったのですよね。」「彼らがもじもじしていた時代というのは、二度と来ない。早いのですよね、終わってしまうのが。」「一瞬しかない時を生きている、そういう人間には共感できるのです。
ドキュメンタリーが捉えるものが語られていると思うが、如何。
対談の後段には、こんなくだりもある。「映画批評家のドナルド・リチーさんが早い頃に「羽仁の映画は、アマとかプロとかいえない。アマチュアでなければ絶対撮れない瞬間がある映画だ」と褒めてくださいました。‥‥」
褒めて下さいました、と受け止めるところに、羽仁の「育ちのよさ」を感じるが、これは又別の話だ。