2ペンスの希望

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黄昏‥‥ファイナル & エンドレス

『黄昏映画館』には生年順に45人の監督の映画が並んでいる。さらに後尾には、安原顕が編集していたリテール別冊③ 『映画の魅惑』(1993年 メタローグ刊)に上野が寄せた文章「日本映画ベスト50――映画状況の変化に独断も偏見もままならず選んだベスト」も載っている。だが、50本というのはどだい無茶だ、間違っている。冒頭で上野も指摘言い訳している。「ヴィデオの普及」で昔々の映画も観られるようになったし、「プログラムピクチャ―が完全に解体して、新しく作られる映画はジャンルはもとより相互の関連性もないまま、それぞれが裸でバラバラに立っている」状態だと。これが四半世紀前のこと。状況はさらに変わった。スマホ、ファスト映画、サブスク、倍速視聴、‥‥映画は「黄昏」をとうに超えて「真夜中」暗中模索の時代を生きている。そう思えて仕方がない。(もっとも、題名の由来は「黄昏時になると映画館に行きたくなるという思いと小学生の夏校庭で開くにわか映画館の記憶」に因るようだが‥)

ながらく綴ってきたが、今日がファイナル。

上野の評論はプログラムピクチャーの時代、画面に映っているものだけに目を凝らせという蓮實先生の『表層批評』を踏まえたものだった。主題や思想ではなく、どこまでも具体的・身体的(肉体的)に映画の力(重力・ポテンシャル)を受け止めようとしてきた軌跡だ。幼く牧歌的だが、それなりに元気だった頃の私的『わが日本映画史』。

『映画は死んだ』とか『映画よさようなら』などと反語的言辞を並べる現代映画評論本よりはるかに直情・直球勝負で気持ちのいい本だった。

巻末には篤実な索引(1100超の映画人名・700本あまりの映画題名)が附され、編集者樽本周馬の本気度が改めて伝わってくる。

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日本映画の暗中模索時代がどこまで続くのか、それはわからない。が、映画は絶対に死滅しない。エンドレスに続いていく。これだけは断言できる。