2ペンスの希望

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黄昏‥‥⑩

⑩は鈴木清順 1923(T12)年5月 生。

『黄昏映画館 わが日本映画誌 』の中で鈴木清順の頁は一番のボリュームだ。ゆうに百頁を超える。上野は一貫して清順を支持し続けた。日活プログラムピクチャー時代、『殺しの烙印』での日活解雇、雌伏を経ての活動再開・再評価ブーム、晩年の映画まで‥同伴してきたが故の「言葉」を幾つかランダムに「つまみ食い」する。

🔳生来の〝ずれ〟のひと  はぐらかし わかろうとすること、つまりは意味を、徹底して蹂躙してしまう体の映画、はじめから意味(理由 わけ)を締め出している。答えはない。映画の厚みを奪い取る 映画など何をありがたがる必要があるかと、抜け抜けととデタラメをやってしまう (双六の上がりを目指すのでなく)なに喰わぬ顔をして 上りとは反対の 振り出しにもどる 涼しい顔をして平気で無茶をやる

🔳「思想」ギライ 「映画で思想は語れない」「日本の映画監督は、どうしてもっと自由に『うそ』を描き切れないのだろう」「『徳義観と真実性』を追うよりむしろ私は『不徳義観と虚構性』を追いながら白い台地と桃色の空の下で死ぬつもりだ」鈴木清順が雑誌「映画芸術」1964年8月号に書いた「雷同者」より】

🔳戸板一枚の向うに、ここをこえたここを、今を超えた今を見ようとする視線

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