⑦は加藤泰 1916(T5)年8月 生。
上野昂志は本の刊行を記念したトークショーで山根貞男と語っている。
以下、『スマ(id:namarukarada)さんのはてなブログ「私の中の見えない炎 おれたちの青春も捨てたものじゃないぞ まあまあだよ サティスファクトリー」上野昂志×山根貞男トークショーレポート』から無断拝借する。
上野「最初のころ、山根さんたちが編集した「シネマ69」でぼくは映画について書き始めたんですけど、そのときも映画について触れながら、どう言ったらいいのか判らんみたいなことをぐずぐず書いてました。」
山根「とにかくよかった、としか書いてない。映画を見て言葉にしようってときにすらすらっと言葉にならないのが大変重要なんだ、と。」
上野「鈴木清順と加藤泰によって目を開かされた面はありますね。加藤さんに関しては山根さんたちのやられていた「加藤泰研究」もあったからそこに書く機会もあって」
1号2号の表紙は林靜一。1972年4月 北冬書房から出てのち「日本映画研究」と名を変えて80年代まで続いた。
「日本映画研究」にはシナリオなども載っていた。
第1号」「侍ニッポン」伊藤大輔 / 第2号「鼠小僧旅枕」伊藤大輔「許せぬ‼」加藤泰・三村晴彦「猫殺しの山」鈴木清順 / 第3号「素浪人忠弥」伊藤大輔 / 第4号「ザ・鬼太鼓座」全カット絵コンテ
懐かしい。管理人も刊行当時から同時代的に読んでいた。
このトークショーでは、初期面白かった山田洋次映画が途中から駄目になるのに比べて、加藤泰映画は晩年まで失速していない、と語っている。
上野「そうですね。60年代のハナ肇を主人公にした喜劇は面白くて、寅さんも最初はいいんだけどだんだんつまんなくなって、寅さん抜きのやつはもっとつまらなくて、どうして!?という(笑)。ただ加藤泰の場合は、初期のはあんなに面白かったのにどうしてこうなっちゃうのというのはないですね。変化しなさそうな加藤さんも、撮る題材も撮り方も変化していったんですけどそういう落差はない。それぞれのあり方の問題で、こちらはそれをどう見るかってことでしかないけど」 (以上、スマさんのブログからの引用終わり)
憤怒の深さ、生き方の姿勢の違い!
「与えられた生を如何ようにして生きるか」
「加藤泰は、それを、論としてではなく、映画的現実において提示している」「さりげない一場面のうちに一挙にあらわしてしまうのだ。」
いやもうベタ褒め、ラブレター。あつく いたく 首肯する。