2ペンスの希望

映画言論活動中です

写真集『映画館』

『映画館 : 中馬聰写真集』という写真集を読んでいる。【リトルモア 2015年5月 刊】
北海道から沖縄まで37の都道府県の142軒の映画館を訪ね、モノクロ写真中心に収めたものだ。自身映写技師でもある中馬さんならではの舞台裏、映写室や映写機もたっぷり載っている。少し前に取り上げた世界の映画館とは趣も印象も随分異なる。大半がモノクロゆえなのかそこはかとなく物寂しさが漂う。(唯一高知県安芸郡大心劇場小松秀吉館主の手書き看板4点のみがカラー写真)    印象的だった一点[三軒茶屋中央劇場]
撮影でお世話になった映画館、
かかわった映画を上映して戴いた映画館、東京時代徒歩数分の近所ゆえ毎週足繁く通った映画館、旅先で出会った映画館、今も良く行く地元の映画館の幾つか、‥‥。
付録冊子に山根貞男さんと高井英幸さんの対照的な文章が載っていて面白かった。
中馬さんの撮った映画館の外観たるや、まさに多種多様で、見ていて飽きない。上映施設の定型があるわけではないから、外見の違いは当たり前のことだけれど、映画館それぞれの個性を濃厚に感じさせる。想像するに、そのあり方は、単に設計上の問題ではなく、個性豊かな数々の映画が上映されることで形づくられてきたにちがいない。
そこで、ふと思う。映画館とそこで上映される映画作品とについて、いまもなお、同じことがいえるだろうか、と。
だれもが知っているように、どこのシネコンも似たような造りになっている。‥‥偏見かもしれないが、昨今の映画の多くは似たり寄ったりの表情をしていると思えてならない。それとこれとは照応関係にあるのではないか。
」 (山根:映画館という生き物が写って‥)
フィルムはなくなっても映画はなくならない。スクリーンもなくならない、映写機もなくならない、二十一世紀も映画館あっての映画なのです。」  (高井:映画館あっての映画)
慨嘆と楽天、それぞれに、違いを超えた映画好きを感じる。きつくなり、厳しくなっているのは確かだが、目先の変化に惑わされず、深く遠くを見据えながら、歩を進めることだ。