思うところあって、撮影所時代の日本映画・プログラムピクチャーを何本か立て続けに見た。(昨日書いた『関の彌太っぺ』もその一本だ。)そして再確認した。
映画はやっぱり集団知の産物だった。各パートのプロフェッショナルが知恵を絞って作り上げていたのだ。テーマを理解し、腕のあるスタッフが集まって力を発揮すれば、映画は良くなる。その時、監督は、文字通り「現場監督」を全うする。(断っとくが、貶めているのではない。現場の総責任者がいなくっちゃあ何も始まらない、何も出来ない。)
それが何時の頃からか、映画は監督のもの、映画の通は監督で観る、という風潮が広まった。フランスのヌーヴェル・ヴァーグあたりからか。いわゆる作家主義だ。
100点の監督と0点の監督が識別され、100点の監督が作る映画はどれも優れていて、0点の監督のものは駄作ばっかり、という考えが幅を利かせている。しかし、我と我が身を振り返ってみればいい。ちょっと考えてみれば分かるだろう。人間調子が良い時もあれば不調・不遇もある。気持ちが乗らない時もあれば、意にそぐわないことだってあるだろう。必死にやってもやっとこさ60点、あれよあれよと100点越えということもある。或る監督の映画がすべて上等で出来が良いなんてことはないのだ。正直、クロサワだってオオシマだって、首を傾げたくなるようなのが幾つもある。
監督さんは現場監督。脚本家が、撮影技師が、照明技師が、録音技師が、美術監督が、助監督諸君が、そして役者たち、スター俳優から脇役、敵役、大部屋・仕出しまでが‥思い思いに技を競う。編集・仕上げ・現像所の力も忘れられない。
今更嘆いても始まらないが、年中朝から晩まで映画のことだけを考えてメシが喰えた時代が、如何にかけがえなく豊かな時代だったことか。
作家の時代、個人映画の時代にあっても、その頃の豊かさを忘れてはいけない。
つくづくそう思う。 忘れたら映画はますます痩せていくだけだ。