2ペンスの希望

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「新しい中世」

「新しい中世」が始まっている。
年末に「メディア論の新書」を読んで以来「新しい中世」という言葉が気になって仕方がない。ウィキペディアにはこうあった。
新しい中世(あたらしいちゅうせい、New medievalism)とは、グローバル化の進展によって国家主権の相対化が進む現代世界を、主権国家体制が成立する以前の、複数の権威が領域横断的に並存するヨーロッパ中世とのアナロジーで把握する国際政治の見方である。
国政政治なんてサッパリ分からないし、さしたる関心もない。が、この言葉、
映画の世界に当て嵌めてみると、何やら見えてくる。(気がするだけ?)
ゆるぎない王権と宗教的ヒエラルキーの元に、民は分をわきまえ生まれた場所に生き、近隣のムラや町についての知識はあるものの、その向こうに広がる世界の大きさは知るべくもなかった。それが変わった。〈移動〉と〈情報〉のあり方は激変した。
今や誰もが世界の果てまで知られている。(つもりなだけ?) 情報で知る世界の果てには、においも熱も欠けている。空気も風の流れも感じにくい。
一方で、世界を知ってしまうことで味わうしんどさ・苦しさもある。神が死んで久しい今、
知らないことの幸せは去り、知ってしまったことの不幸のみが滞留している。
想像力の衰弱もある。
「固定的な上下関係」ではなく「流動的な横並び」は、一見民主的だが、どこかいびつ・跛行(はこう)的で苛酷だ。
日本の映画でいえばメジャーは崩壊し「複数の権威が領域横断的に並存する」。
国内でまだ知られぬ映画が、世界の何処かで喝采を浴びるなんてこともある。不幸で不健康にも見えてくる‥
いずれにしろ、中世回帰ではなく、新しい中世。もすこし考えていきたい。