かつて映画が撮影所で作られていた時代があった。
その頃 撮影所は夢の工場と呼ばれていた。
東京都内をはじめ都下近郊横浜や川崎・千葉、西では京都や宝塚、更に古くは芦屋・西宮や東大阪、奈良にもあった。過去形で語ると、いや今でも幾つもスタジオはあるじゃないかという御指摘を受けそうだが、大半が貸しスタジオ化している今、往時の勢いは無い。
もはや抜け殻、夢の工場の面影はかけらも無い。
あらゆる意味で、映画は「工場生産」の時代から「家内制手工業」へと移っている。
職能者・職工さんの姿もめっきり見かけなくなった。高齢化も進む。
新しく作られる映画の多くが、身内・見知った仲間内でちんまり作られているように見受けられてしかたがない。企画から演出・撮影・編集・録音までを親方一人がないしは数人がフットワーク良くこなす兼務兼業・多機能工的な例も多い。もっともエンドロールに延々と沢山の名前が連なる例もあるが、果たしてどれだけの人材が映画作りにコミットしているのか、首をかしげたくなるケースも見受ける。協力や応援、ボランティアスタッフって何のことだろうか?責任を負わない善意の協力者を否定するわけではないが、
スタッフと同列ではなかろう。
工場から工房へ。資本を要する大量生産から、比較的低資本低予算で始められる丁寧な手作りの一品モノ生産・アルチザンの世界へ、こう書けば悪くはなさそうだが‥‥
夜なべ週末映画制作、DIY日曜映画監督、半農半映画‥、色々あるが、映画専業は難しくなってきた。下部構造=懐具合、これが一番問題だ。映画を作りながら、結婚して子供を育てて暮らす、という生活設計が可能かどうか?
‥‥逃げ切りロートルの、余計なお世話・要らぬおせっかいでしかないのだが‥。