すべての表現物は[下部構造]に規定される。
その自覚なくして済ませられるのは、子供だけだ。さて では[下部構造]とは何か?
さしあたって思い当たるのは、三つ。
経済 つまり 懐具合
身体 つまり 体力と体調
時間 つまりは すべての人には等しく24時間が配分されているということ
(かつて吉本隆明さんは、25時間目にやれ、といったが、それしも24時間の中で
25時間目を見つけろ、という意味だろう。)
さしずめ、この三つそれぞれの配分・按配(奪い合い・せめぎあい)がポイントとなろう。政治や制度、宗教などはさておき、表現とか芸術とか文化とか呼ばれるものは、なべてこの[下部構造]に規制される。このことは、表現物の作り手だけでなく、受け手=享受者(観客や視聴者)にとっても同じことだ。この事情を踏まえない表現物は、どこかしら、いびつでいかがわしいものだ。誰にどんな代金(対価)を求めるのか、胸を打つのか、
腹を満たすのか、さらに、時間をどう捻り出させるのか‥‥
(今日は 「ビジネス抜き」はなし 補説として書いた。そう読まれたい。)