2ペンスの希望

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紙ヒ逍遥 映画は人間語

今日も長部日出雄さんの「紙ヒコーキ通信」に誘われての逍遥・余滴を続ける。
「紙ヒコーキ通信」の単行本は三冊でている。これまでは通信2『映画監督になる法』を中心に引用してきたが、通信1の表題は、『映画は世界語』。そう言いたい気持はよく分かる。が、管理人の思いは、ちょっと違う。外国の映画を見ていると、言語の違いを超えて、或いは又、特別の知識・教養などなくとも、微妙な感情の起伏、人生の機微が確かに分かった気になって頬が緩むことがある。映画が、宗教や政治、文化の違いを超えて、万人に楽しめることは間違いない。それでも、文化的な背景(喩えて言うなら、西欧世界におけるキリスト教の重さ・役割など)には、理解が及ばない部分が残る。
その意味では、「世界語」というより、より正確には「人間語」と言うほうが良さそうだ。(共通語とはいわず世界語とした長部さんはさすがだ。安物の評論家なら世界=共通語、とするところだろう。)世界=人間=不可解で広くて狭くてよく似ている、とよく分かってらっしゃる。
違和感や難解な部分を持つ或る映画について、長部さんはこう書く。
ぼくは、映画を感じながら、なおかつものを考えつづけて、わからないものについてはわからないということを、やめようとはおもわない。
感じながら、考え続ける‥‥これ基本である。