2ペンスの希望

映画言論活動中です

思い込みが壊されていく

1989年に始まった山形国際ドキュメンタリー映画祭の通訳として皆勤賞を持つ山之内悦子さんの『あきらめない映画 山形国際ドキュメンタリー映画祭の日々』を読んでいる。【大月書店2013年9月27日刊】映画祭愛に満ちた体温の高い本だ。
知られた(といってもドキュメンタリー映画という狭い世界だが)映画人が何人も出てくる。中で、二人のコメントが気になった。
一つは、知る人ぞ知る「観察」映画の巨人フレデリック・ワイズマンがあるインタビューで語ったという
「たぶんドキュメンタリー映画の監督というのはプロのアウトサイダーと言えるでしょう」(太字:引用者)
もう一つは、小林茂監督(『阿賀に生きる』のキャメラマンであり、その後自ら『放課後』‥‥『チョコラ!』などを監督、現在『風の波紋――雪国の村から』製作中)の
「映画を撮る醍醐味はそれによって自分の思い込みが壊され変わっていくことにある」という言葉だ。(同じく太字:引用者)
外側からの観察なのか、自らが変わっていくための被写体なのか、どちらも正しくて、どちらも間違っているような‥‥う〜ん、悩ましい。
(同時併行で樋口毅宏さんの『タモリ論』も読んでいる。【新潮新書2013年7月20日刊】中にこんなのもあった。雑誌『週刊ファイト』の故・井上義啓編集長は「プロレスとは何か?」と問われ、「プロレスは、底が丸見えの底なし沼」と答えていたそうだ。
誰でも受け身で、努力しなくても、楽しめる‥ 〈映画〉もまた「底が丸見えの底なし沼」に見えてくる‥‥ドツボにドボン!かも‥。