2ペンスの希望

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痛み

昨日の続きで、キネ旬最新号(2015年4月下旬号)から。
数年前から続く中村高寛さんのコラム「黄金町ブルース フィルムに映らないドキュメンタリー監督の日々」を読んだ。
中国北京電影学院時代の恩師の言葉を紹介している。
ドキュメンタリーとドラマの違いを一人の人間に喩えるならば、ドキュメンタリーはその人物の肉をはぎ取っていき、最後に残る骨、核心を探していくものだ。当然そこには痛みが伴う。逆にドラマは、ある人物(役)の骨に、作り手の思想を血肉として埋め込んで、人物を形作っていくのではないか
取り立てて目新しい説ではない。ただ、「当然そこには痛みが伴う。」という一節には、実作者ならではの経験が滲み、読ませる。「痛み」は、撮る側にも撮られる側にも生まれる。この「痛み」の有無が映画の生命を決める。「痛み」が感じられるかどうか。「痛み」が伝わるかどうか。同時に、両者の「痛み」は両者の「喜び」でもある。