2ペンスの希望

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百輭‥石堂

先日に続いて石堂淑朗さんの『偏屈老人の銀幕茫々』から。
巻末の「究極の旦那芸」が面白かった。 内田百輭の文庫本『王様の背中』(1994年 福武文庫)の解説文として書かれたものだ。
百輭は自分の書くものを文学ではなく、文章である、と言っている。  ↓百輭 64歳? 自分は文学者に非ず文章家であると規定した。
 文学ならば、師漱石のように究極的に実生活に正面から相対する覚悟が必要である。しかし文章ならば、切れ切れにした実生活を、腕の冴えに任せて綴れば良いのである。百輭文章の特色はメッセージ性の全き欠如とデテールの完璧にあり、これが平成の脱イデオロギー感覚にフィットするのである。

「‥彼の文章は一行の不足も余剰もない名文であるが、その底に潜んでいる青白い神経は紛うことなき世紀末のもの、断簡零墨に至るまで光の無い空に浮かんでいる不思議な霊魂を思わせる。教訓を含まない名文はいっそ不気味である。
感動は作品自体のエネルギーの中にある。」 (太字強調は引用者)
いいなぁ。
そういえば、ウイキペディアの内田百輭の項に「女優高峰秀子は最も愛読する作家として百輭の名を挙げている。」とあったのを思い出した。 プロはプロを知る、ということか。