2ペンスの希望

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作為

当たり前のことだが、映像はカメラがあって、レンズがあって、サイズや絞りフォーカス被写界深度が選ばれて成立する。どんなに自然を装っても、映画は作為のかたまりだ。そのことに今一度自覚的になっておきたい。というのは、あまりにも簡単にカメラを向ければ撮れてしまうがゆえだ。作為がないがしろにされている。というより、むしろ、作為は邪魔・邪念扱いすら受けている。ありのまま、自然な姿、無作為、それらこそ素晴らしい‥と。
本当にそうか。
目の喜び・眼の驚きが出発点だとして、その感動や発見が、工夫なしに伝わるほど、「表現の世界」は易しいものではない。
作為の復権を唱えたい。
もっとも、見え透いた薄っぺらな作為は、いただけないが‥。はた迷惑極まりない自然児も御免だが、出来の悪い作為も端から願い下げだ。