2ペンスの希望

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新聞劣化

かなり前のことだが、辺見庸の発言にこんなのがあった。正確には憶えていないので
うろ覚えのまま書くが、「全国紙日刊紙の記者は、給料を貰いながら愉快犯とマッチポンプをやっている連中だ」といった趣旨だった。辺見がまだ共同通信の記者と物書きの二束の草鞋を履いていた頃のことだ。自分のことは棚に上げてよく言うよ、と思ったものだが、言っていることは理解できた。
以来ウン十年、新聞の劣化が止まらない。取り上げる記事内容も論調もそうだが、何より文章がひどすぎる。日本語になっていない。見出しを見ても、何の記事だか、何が言いたいのか、さっぱりわからない。そんな代物が少なくない。(論証抜きなので、承服できない向きもおありかと思うが、乞うご容赦である。)
申し訳ないが、「〇声〇語」という大新聞の一面コラムにはいっぺんも感心したことがない。どうしてあんなに高いところから見下ろしたような物言いが出来るのか不思議でならない。エリート臭ふんぷんの作文。そんなに嫌なら読まなきゃぁイイじゃないか、と言われそうだが、おっしゃるとおり、かなり前からそうさせて貰っている。この「〇声〇語」の書き写しが人気だそうだ。専用のノートが120万冊も売れているそうな。
ある日の「〇声〇語」。(こちらは例証をひとつ挙げる。)
「愛の反対は憎しみではなく無関心だともいう」ではじまる文章。 驚いた。
確かマザー・テレサの言葉だったと記憶するが、マザー・テレサのマの字にもふれずに、文章はパレスチナ問題に移っていく。何だこれは‥と思ってしまった。これでは冒頭の一文が「〇声〇語」のオリジナルだと錯覚する読者も出てくる。いや、文中にはちゃんと「ともいう」と書いてあるので「引用」であることを隠しているつもりはない、とでもいい訳するのだろうが‥。こんなのを夜郎自大という。
いやはやなんとも。ひっかかるのは、受験生諸君が学校関係者だけだろうと思っていたら、大の大人それもかなりの年配者にもファンがいるようだ。写経のつもりなのだろうか。「〇声〇語」は現代の経典と言うわけか。よせやい、悪い冗談か、まるで悪夢じゃないか
新聞しかり、TVしかり、週刊誌しかり、マスメディアは重体だ。昔は良かった、とは意地でも言いたくない方なのだが、昔の方がちったあマシだったと言いたくなってしまった。あー嫌だ 嫌だ。