2ペンスの希望

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今何が‥「新しい映画」

今ほど「新しい」映画が作りにくい時代はないのではないか?そう思えてくる。
確かに機材は安くなった。扱い方も簡便だ。しかしそれだけのこと。
先達の達成に敬意を払い十全に受けとめた上で何か「新しい映画」を作らなければ映画をつくることに意味はない、そう真剣に真摯に考えれば考えるほど、映画は作りにくくなってくる。
何処かで見た映画の焼きなおし・劣化コピーばかりが性懲りもなく大量再生産される情況に「プラスワン」することを潔しとせず、全く新しい「オンリーワン」を目指せば目指すほど、吃音、失語症に陥らざるを得なくなる。それが誠実というものではないだろうか。
映画の進化・冒険は一九七十年代で停止したまま一歩も進んでいないのではないか‥
あらゆることはやりつくされて何も残っていないのではないか‥
かつて必修科目だった映画はいまや隅っこの選択科目のひとつに過ぎなくなってしまったのではないか‥
もはや全面的成功は望むべくもなく、せいぜいが部分的成功しかないのではないか‥
などなど
疑念は次々に浮かぶ。数え上げればきりがない。悲観的な材料ばかりが並ぶ。
真昼の暗黒 いや
午後五時過ぎの夜明け前
(‥‥懲りずしつこく「背反有理」シリーズ)
けど、嘆いていたって始まらない。今こそふんばりどこ、前に進むしかなさそうだ。
「新しい映画」という呼称は、これまでの映画史を全面的に書き換えるような映画、
自由自在でパワフルな映画にだけ与えられる。
そう信じて精進を続けようと思う。