2ペンスの希望

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今何が‥現実>表現

この建物何かお分かりだろうか。遊園地でもラブホでもない。



大阪市此花区埋立地に作られた大阪市環境局舞洲工場ゴミ処理場の建物(2001)だ。高さ120メートルの煙突は「偽窓」で飾られシンボルタワーみたいに聳え立つ。知らなかったが、大阪の人には有名な建物らしい。
そういえば建物の上部に小さく大阪市のシンボル「澪標(みをつくし)」が写っている。
近くにはもう一つ同じデザイナーによる大阪市舞洲スラッジセンター(2004)もある。
デザインを手掛けたのは、オーストリアの芸術家(画家・建築家)フリーデンスライヒ・レゲンターク・ダンケルブント・フンデルトヴァッサー【1928〜2000】
建設費は二つの建物合わせて1409億円。そのうちデザイナーに支払われたのは6600万円だそうだ。これが高いのか安いのかは知らない。
言いたいことは、建築の是非やお金の遣い方ではない。
映画よりも現実の方が格段にすすんでいるのではないか、ということだ。
その昔、「事実は小説より奇なり」という言葉が流行ったことをゆくりなくも思い出した。
こんな建物を見せられてしまうと、昨今の映画の想像力の貧しさを思い知らされる。
映画より現実の方がはるかに奇っ怪で挑発的刺激的に見えてくる。
この建物を見て映画好きの若者がこんなことを言った。「このゴミ焼却場で、(福島の)放射性物質を含んだガレキを焼却することの方がものすごいシュールでダーティーなイメージが湧きます」
SENSE OF NON-SENSE。(また見つかった、何が?「背反有理」が‥)

お金の集まりところに才能が集まるというのは自然なことなのだろうが、歯止めが利かずとてつもないことがずんずんすすんでいるように思えてならない。
見かけ上は物質的に豊かになった今この国での「表現」=精神的な営みの困難さについて改めて思い知らされる、そんな気分だ。
酸欠状態の中での貧血。映画の想像力が負けている!
今の時代が、作り手にとって、きつくて厳しい状況であることに、もっとおののくべし、
そう思ってしまった。