2ペンスの希望

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切開のベクトル

半月ほど前、京都で「地域発信の映画の可能性〜配給・宣伝・興行の視点から〜」というシンポジウムが開かれた。劇場支配人や配給会社プロデューサーなどをパネリストとした催しだった。年若い友人のプロデューサーが参加して、その様子を私的ノートにまとめて送ってくれた。中に興味深い箇所があったので、当人の許諾を得て報告の一部を引用させてもらう。
或るパネリストの発言⇒「飽和しているインディペンデント映画の由々しき事態としては、映画の宣伝・上映そのものが演劇界の小劇場的なやり方になってきており、一定の固定観客層だけで映画を分かち合うという「身内」だけのものになってきてしまっている
確かにその通り。
ミニシアターを覗いてみると、小劇場の自給自足芝居か、お稽古事の発表会みたいなありようが目立つ。(なかには、市民集会か、学習会、カルチャー教室みたいなのもあるが、これはこれでまた別の話。)盛り上がっているのは、関係者・仲間内だけ。それはそれで愉しいのだろうが、ゴッコでは、時代や社会と切り結ぶにはなかなか至らない。
閉じないで、開いていく(拓いていく 啓いていく)ことが、第一だ。
切開のベクトルは二つある。
その1は、進取果敢 新しい技術と環境に向き合うことだ。具体的には、WEB上にフラットで公平な何らかのステーション(新しい映画ジャーナリズム)を創り出すこと。信頼に足る批評空間をいかに生み出すことが出来るか。
その2は、温故知新。「古い映画の新しい発見」かつてあったシネクラブ運動の今日的再生を促すこと。
日本の映画の明日がどうなるのか、どうあるのが望ましいのかについては、皆それぞれに誠実に切実に考えているのだろうが、拙の最近のキイワードはWEBとシネクラブ。
いまだ単なる思いつき、まったくのあてずっぽうに過ぎない。が、少しく本気で考えてみたい。ヒントや異見あらば是非。