2ペンスの希望

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テレビと映画 この似て非なるもの

同じ映像なので、似たもの同士に誤解されるが、テレビと映画は全然違う。
似て非なるものである。

テレビは、ながら視聴をゆるすメディアだ。
他チャンネルとの戦い、日常と地続きの時間・ふるまいにいつも晒されている。
そのため、視聴者の想像力に対しては控え目に最小限の期待しか持ちえない。
考えさせてはいけない。考えなくても分かるように、全部見せる・全部説明する。
手取り足取り、至極親切。視聴者はおんぶに抱っこ・受け取るだけ。
受け身の受容体験、傍観OK,ぼんやりと身を委ねていればいい。
(それがいけないのではない。テレビはそういうメディアだと言っているだけだ。)

テレビに較べると、映画は拘束性の強いメディアだ。持続を強要する。
少なくとも管理人が育ってきた時代の映画はそうだった。
だから、映画の観客はもう少し能動的だ。テレビよりは集中して対話する姿勢が強い。
だからこそ、映画には「省略の達意」が求められる。
作り手は、「見せないで見せる(魅せる?)」、「描かないで描く」ことに腐心する。
見えないもの・見せていないことを巡って、作り手と観客がキャッチボールする緊張感、想像力と想像力のぶつかり合い。これが映画の醍醐味であり最小必要条件だ。
観客の想像力への期待ゼロでは、お金を払う観客に失礼というものだろう。