2ペンスの希望

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引き続き枝雀のTV番組の話。
BS朝日・ABC放送「君は『桂枝雀』を知っているか!?」】
「「前回受けたとおりやろうとすると間がおかしくなる」枝雀さんはつねづねそういっていた」と小佐田定雄さんが語っていた。たしかにタイミングを外すと笑えるものも笑えなくなり、笑いが曇る。間というキイワードが眩しい。
間とは魔だ。
間とは空だ。
あるのに見えない。実体を持たずして精妙なるもの。呼吸。
間。間合い。合間。すき間、間抜け、間延び、間に合わせ。行間を読むというのもある。
これまで何度も書いてきたことだが、
余白の広がり、余韻の深さ、余情のゆたかさ、が無い表現物は窮屈でくつろがない。
間とは、作らないで作る、という方法論のひとつの形だ。
身に付いた持ち味+身につけた間。これが芸の中身だ(と思う。)
間とは真だ。
間とは闇だ。
間とは艶だ。
‥‥‥
不意に、ルチオ・フォンタナの絵画が浮かんできた。  何故だろう?  解らない。