2ペンスの希望

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松林要樹さんという若い記録映画作家の本を読んだ。
『馬喰』【2013年12月30日河出書房新社刊】東日本大震災後、福島県相馬地方の人と馬の暮らしを綴った本だ。彼が作った映画『祭の馬』は未見だが、本は面白かった。
震災後ふと目にした馬のハレあがったチンチンを入り口に、かの地の歴史(近代史から現代史)、震災(とりわけ津波原発崩壊)による厄災、人と馬の行く末を描く。自分の目の高さから等身大に語るスタイルには好感を持った。見えるものから見えないものをあぶり出す。映画作りにも共通するディテールへの眼差しにも共感した。
そんな中、本筋をハズれたこんなくだりが目に付いた。
震災の夏、開催が危ぶまれた伝統の祭「相馬野馬追」が小規模ながら開催された。
その様子を見聞した松村さんの記述。
正直な感想を言ってしまえば、今に伝統が息づく勇壮な祭というよりも、馬に乗った侍姿の男たちが、観光客や見物人に対して威張り散らしているような印象を受けた。
祭に出ている侍が、道を横切ろうとする、首からタオルを巻いたおばあさんの観光客に、馬に乗ったまま「この無礼者!道を横切るな!」と大声で怒鳴りつけていた。しかも、元の場所に戻れと怒鳴っている。野馬追で道を横切るのはご法度だとされるが三〇歳に満たないであろう騎馬武者が、自分より年上の老人に対して無礼者と怒鳴りつけている姿がどうしても印象に残ってしまった。
 それが相馬の武士の心意気だといえば、カッコいいかもしれない。こういう文章を書くことすら、時代が時代なら斬られていただろうが、正直なところ、心の狭い印象を受けた。この時代に原発事故が起きた、その最中に伝統的な祭をやって、復興祈願の願を懸けているのならば、侍の恰好をした男たちも情けをもって接するべきだろう。そうすれば、どんなにカッコがいいだろうかと。

地元の人でもみんながみんな祭を楽しみにしているわけでもないんだ。野馬追の時期にわざわざ旅行に行ったりな。祭に参加している家族やその当人たちが、小さな輪の中で楽しんでいるだけだ。
騎馬会の小さな上下関係や、武勲をあげた人が騎馬会の軍師とか侍大将とか、騎馬会の中の偉い役職に就けるということだが、‥偉い役職に就こうとする人たちがあの手この手を使って、便宜を図って、勢力図を拡大していく。そんな地元の人間関係に辟易してしまった。
読んでいて、映画界(映画ムラ)のことを想ってしまった。
どこの世界にも、どんな業界にもよくある話だ。
小さな輪の中で楽しむ」のは勝手だが、居丈高に周りを威圧するのは「カッコ悪い」。
他人事ではない。