2ペンスの希望

映画言論活動中です

現代・劇

昔 時代劇と現代劇という区分があった。
時代劇といえば、チャンバラや西部劇、古代史劇のことだった。
浴びるように映画を観ていた1960年代から70年代の現代劇は、今見直しても「現代劇」だと思って観ている。
数日前にある若い友人から、「五十年以上も前に作られた映画、現代劇と呼んでいいの」と指摘されてしまった。たしかに。電話はダイヤル式黒電話、固定電話と公衆電話しか登場しない。パソコンもインターネットも無い。バイクシーンにもヘルメットはない。
数年前に大ヒットしたらしい三丁目の何とかという映画、若い人は初めて観る新鮮な「時代劇」として賞玩し、年配の観客は懐かしい懐古趣味で押しかけたようだ。
今朝の天気じゃないが‥降る雪や昭和も遠くなりにけり、か。
以下 蛇足脱線‥‥
ギリシャ悲劇もシェイクスピア近松だって現代に生きる。
同様に、「現代」に通じる「劇」を描いた映画は、なべて現代劇と呼びたい気分だ。
新しく作られる映画が古くさく、古い映画が新しいことには、もっと注目されていい。
胸に響く映画は、時代を超える。懐古も退場もない。