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『ビルディングと小便』

原六朗といってもピンとくる人は少ないだろう。
昭和初期に活躍した新興芸術派 吉行エイスケ龍胆寺雄らほどにも知られていない。忘れられた作家である。戦前から戦後にかけて長く 日本大学芸術学部文芸学科の教員を勤め、散文からは離れた晩年には俳句を作った。ちょっとした縁で『ビルディングと小便』【1930年(昭和五年六月 赤爈閣書房 発行】を読んだ。
題名の珍奇な取り合わせに惹かれた故もある。
当時最先端であったビルディングの描写が随所に見られる。「‥ブロックの堅さと、滑るリノリウムと、毎日磨かれる階段の真鍮欄干と、大理石の装飾柱と、シャンデリアと」「便所の化粧煉瓦」 勃興し始めた都会のモダニズムとサラリーマン=「有識無産階級」の生理が新鮮で、眩しく懐かしかった。1930年代から40年代にかけての日本映画の成熟 戦前の黄金時代(管理人の好みでいえば清水宏島津保次郎ら)を彷彿させる趣もある拾い物だった。もっとも時間や時代を超えて文学史に残るという逸品というより、好事家の賞玩品あたりだろうか。
オマケ:この浅原六朗さん、童謡「てるてる坊主」の作詞家(ペンネーム:浅原鏡村)でもあるそうだ。著作権が切れるまではずっと月に4、5万円の著作権料があったという。
【出典:平凡社発行『太陽』1974年1月号(新年特別号)№128特集 日本童謡集】
▼1937年(昭和十二年)講談社発行『童謠画集』の川上四郎の挿画