2ペンスの希望

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完成度

足したり盛ったりしない、飾らないでごろんと投げ出す、説明もしない、それでも、見る人を捉えて離さない強さ、それが表現(物)の身上だろう。
良く出来た完成品は、粗雑でも雑多でもない。もちろん稚拙でもない。手間も暇も掛かってる。上手く出来たものは、鋭く研ぎ澄まされながら、柔らかく温かい。しかし、これがなかなかに難しいことはプロなら誰でも知っている。
演劇や舞踊は、生ものだ。ライブ、一回性が基本になる。音楽にも生演奏・コンサートがある。稽古や修練を積み上げてステージで燃焼する。観客は同時的時空体験に酔う。共感、交感、交歓が生まれる。
映画の場合はどうだろうか。映画は生ものではない、パックされた練り物だ
封切り、公開、放映、納品締め切り、‥‥納期が切られている場合には、理由がたつ。時間がない。お金がないという言い訳もたつ。あきらめも付く。けど、一人で勝手に作っている場合は厄介だ。どこまででリリースするのか、何をもって完成形=初号とするのか、自由なゆえに不自由になる。趣味的になり、恣意が混じる。踏ん切りの無さ、往生際の悪さが付きまとう。いつまでもどこまでも練りあげたい、という未練が残る。賞味期限も何もあったもんじゃない。
映画の完成度っていったい何なのだろう、何処にあるのだろう、
そう考え始めるととても難しい。
ん?管理人の場合はどうかって。
意志薄弱なもんで、99%他動的。他力本願でなんとかしのいできた。
それでも長くやっていると、ここら辺りが限界・ピーク・潮時かなというのが見えてくる。
その時には、どこが生煮えか、どこが至らないか、プロの目からは、手抜きもごまかしも何もかも全部丸見えだ。