2ペンスの希望

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重力と密度(軽薄短小再論)

昨今、重いものは敬遠されがちだ。軽薄短小礼賛時代。粗くて雑で濁ってる。スカスカ、ぺらぺらを苦々しく思ってきた。が、はたと気がついた。
なんだ、軽くて重いもの、薄くて濃いものを作ればいいだけじゃないか。言葉遊びのつもりはない。外見(そとみ)は軽いが、手に持ってみると、中身(なかみ)はずっしり重い、重力も密度もある。そんな落差、ギャップを仕掛けて育てていけばよい。
軟らかそうで硬い映画。弱そうで強い映画。軽くて重い映画。薄くて濃い映画。
間違ってもらっては困るが、それは、見かけはチャラいが内面はしっかりしている、といった人物造形ノススメ、近代的な自我表出ノススメではない。
映画評の常套句に「人物描写が出来ていない」「内面が描けていない」「あんな人間がいるわけない」なんてのがあるが、人間描写や内面なんてどっちでもいい。そんなものは犬にでも食わせておけ、だ。(いまどき気が利いた犬は見向きもしなかろうが‥) 
リアリズムなんぞくそ喰らえ。さらりと脱ぎ捨てて、フィクションとしての完成度だけを問えば良い。ギャップを孕んだ映画の重力と密度、硬度と強度、それが課題だ。