2ペンスの希望

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「もはやそこにないもの」の現前

四方田犬彦さんの本『映画史への招待』に、こんな一節がある。
「(映画は)過去のある時点において制作され、配給され、上映されている。そこには
それが撮影された当時の事物と人物が描かれている。だが、それは同時に、今ここで生きるわれわれにとっては、目の前のスクリーンに現前してしまう何物かでもある。‥

(映画は)「もはやそこにない」と「まだそこにある」という二つの矛盾した状態が、スクリーンの体験においては難なく共存してしまうという事実を、われわれに突き付ける
「もはやそこにない」ものが「まだそこにあり」「今まさに(私の目の前に)現前する」
名作・古典といわれる文学や絵画・音楽が時代を超えて生き延びることは、当たり前に了解されるだろう。ただ、映画がそれらと異なるのは、その「生々しさ」であり「現前性」である。目にするものはすべて「過去」であり、「死者(死んでいなくとも「もはやそこにない」もの)」であり、「幽霊」でありながら、同時に、それを全身、五感(+第六感)丸ごとでまざまざと感じ取る昂奮。映画の魅惑の根っこにはこれがある。 ぞくぞくする官能のない映画は二級品だと思ってよい。