2ペンスの希望

映画言論活動中です

フィオナ・タン

大阪中之島国立国際美術館で映像作家の展覧会を観て来た。
「フィオナ・タン まなざしの詩学  [Fiona Tan Terminology] 」
フィオナ・タンさんのことは初めて知った。1966年インドネシア生まれ。オーストラリアで育ち、1988年から現在までオランダ アムステルダムにを拠点に活動する 国際的な映像作家だ(そうだ)。

美術の世界では、インスタレーションという専門用語(業界用語?)で呼ばれているようだが、16ミリフィルム、ヴィデオ、デジタルなど使われるツールは色々、長さも1分少々のエンドレス・ループから60分の中篇(長編?)までの代表作17点が展示上映されていた。照明を落とした館内では、ひらひら揺れる不安定小さな白い布切れをスクリーンに見立てて16ミリフィルム映写するもの(映写機はエルモ社製だった。懐かしい!)や、白いパネルボード・美術館の巨大壁面などにDLPプロジェクターで投影するもの、小さなモニター画面で見せるものなど、見せ方も大小さまざまだった。
映像のスタイルも、記録・記憶のため、思考・思索のため、伝達・伝導のため、‥と多種多様だった。
期待はずれもあれば、アイディアに感心するものもあった。
印象に残ったのは、次の2本。
「ダウンサイド・アップ [Downside Up] 」2002年 2分20秒:ループ 

「ライズ・アンド・フォール [Rise and Fall] 」2009年 26分 

それぞれどんな内容かは、ウエブ検索すれば見つかる。そちらでどうぞ。
もうひとつ。
「影の王国 [Kingdom of Shadows] 」2000年 50分
の中で、「絵画には〈思いがけず〉は入り込まないが、写真(映像)には偶然性・偶発性が関与する」と語るタンさんの言葉は耳に残った。
それにしても、
[Downside Up]とか[Rise and Fall]とか、英語そのままのタイトルはどうだろう?「逆さまの逆さま」とか「干満:満ち干き」といった日本語訳は考えられないのだろうか?きっと何か事情があるのだろうが、怠慢を感じる。展覧会の名称「まなざしの詩学」も分かったようでよく分からなかった。カッコつけた名称はどこか居丈高でいただけない。そう感じたが‥‥意地悪に過ぎるのかな?