2ペンスの希望

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進化=貧困化?

偽学生の何がいけない、と昨日のブログに反論が来た。大学に行けない若者が向学心に燃えながら紛れ込んだっていいじゃないか、というご意見だった。 おっしゃる通り。
明治時代にまで遡らずとも、昭和の終わり頃から平成初頭にかけて「ニセ学生マニュアル」なんてのが流行本になったことがある。資格なんて問わなくったって、聞きたい授業に潜り込むのはOKだ。形式と肩書きばかり気にして内実のない本物学生こそ、使い物にならないまがい物だろう。けど、時代は変わった。エリートかお金持ちしか大学生になれなかった明治時代とも、バブル全盛の1080年代末とも、事情は違う。 様変わり。 ブラウン管は液晶・プラズマに変わり、フィルムはメモリーチップに変わった。
アナログ世代はアナクロ世代、猫も杓子もデジタル一辺倒。
明治どころか昭和は遠くなりにけり、だ。
とはいえ、(これも間違ってもらっちゃ困るが)昔は良かった、過去は素晴らしいと言いたいわけじゃない。過去を神格化するつもりはまったくない。 鵜呑みにもしない。
同時に、今が一番進んでるともぜんぜん思わない。現在を進化の先端だとは考えない。
思いはこうだ。人間の心や胸に触れる芸能(や芸術)、表現の世界には、もしかしたら進化も進歩も無いんじゃないか?それぞれの時代に与えられた環境(=水位・水準)の中で、高みを目指し、達成を求めているだけなのではないか。進歩した・過去を乗り越えたと思った瞬間、足元がすくわれ、実際には大切な要素が切り捨てられて、貧困化しているんじゃないか。進歩は退歩?進化は退化?進化=貧困化だと後で気づいても遅い。後の祭り。そんな思いしきり。
何時だって、テンプレ映画も、テンプラ映画も真っ平ゴメンだ。