2ペンスの希望

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リテラシー

シナリオに書いたからOK、映像に描いたから大丈夫、あとは、受け手の能力次第、
作り手の責任は果たした、伝わらないのは観客が悪いから。目が節穴。鈍いだけ‥‥よもやそうお考えではあるまいな。
忘れてもらっちゃ困る。描くことと伝わることの間には深くて暗い河がある。そんなことは、基本中の基本、作り手の倫理その一だろう。それを受け手に責任転嫁するのは‥言語道断!
メディア・リテラシーについて、コラムニスト小田嶋隆さんがこんなことを書いている。
ニュース視聴者が信憑性の低いニュースやデマ情報にひっかかって判断を誤ることを受け手のリテラシーの問題に帰する昨今の風潮は、食中毒の発症を客の自己責任として処理する態度と同じことで、メディアの側の責任放棄と言って良い。特に「メディアリテラシー」という言葉は、本来、提供する情報の品質について 責任を負うべきメディアが、その責任を受け手の読解力の問題にすり替えて頬かむりをする際のキーワードになっている。 」【日経ビジネスオンライン小田嶋隆のア・ピース・オブ・警句」2015年6月19日「90日間、テレビを見たのは10時間。」3ページ目】
本来責任を負うべき送り手が、受け手の読解力の問題にすり替えて頬かむりをするのは、最近の日本の映画でもよくある話だ。こういうのを昔は自己満足とかマスターベーションとか、夜郎自大とか、ご都合主義とか,色々と云ったものなんだが‥。
今はほったらかしなのだろうか。