2ペンスの希望

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合成の誤謬

経済学の用語に「合成の誤謬」というのがある。
fallacy of composition ウイキペディアを見ると、
ミクロの視点では正しいことでも、それが合成されたマクロ(集計量)の世界では、かならずしも意図しない結果が生じることを指す経済学の用語 」とある。
個々人にとって良いことも、全員が同じことをすると悪い結果も生まれる。個人にとって貯蓄は良いことだろうが、全員が貯蓄を大幅に増やすと、消費が滞り経済は悪化する」という説明もある。
昔々 一緒に仕事をしてきた映画キャメラマンから教えてもらった。(彼は大学で経営学を学び、その後記録映画のキャメラマンになっていた。)丁度、ヤマト運輸小倉昌男さんが宅急便事業を立ち上げ、当時の建設省、郵政省と派手に喧嘩していた頃の話だ。友人キャメラマンはこう指摘した。
確かに宅急便は個人にとっては便利でとても有り難いサービスだ。早晩支持を得て広がるだろう。けど、社会全体で考えると、走り回る膨大なトラックのエネルギーコストと環境への影響・負荷も同時に膨らむ。それを引き受ける覚悟があるのかどうか。
日本全国津々浦々今日出して明日届く宅配便やAmazonの1円本には重宝しながら、後ろめたい気分に襲われることが たまにある。便利はこわい。
飛躍しすぎと叱られそうだが、こんな妄想が浮かんできた。
日々、膨大に作られる個々の映画の山また山、それが集積したとき、必ずしも望ましく健やかな「映画世界」がもたらされるわけではなさそうだ。「業界」とか「日本映画界」なんて狭い話ではない。(閉塞した酸欠世界が途絶えようと、自業自得。) そんなことは知ったこっちゃない。しかし、もっと自由で豊かな筈の「映画世界」が貧血で窒息し若木のまま立ち枯れてしまうことを怖れる
杞憂というなかれ。強引というなかれ。