2ペンスの希望

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『ゴダール原論』

世にゴダール好きは多い。
多分インテリ&インテリもどきを刺激する成分含有量が多いのだろう。恥ずかしながら
かくいう管理人もその一人だ。 ということで、
2016年1月に出た佐々木敦さんの『ゴダール原論 映画・世界・ソニマージュ 』【新潮社】を読んだ。2015年冬日本公開のJLG(ジャンリュックゴダールをファンはこう略す)最新作『さらば、愛の言葉よ(原題:Adieu au Langage 』(制作は2014年)を詳細に論評した本だ。使徒か下僕のごとくにマニアックな執拗さで誠実真摯に言葉を費やしながらゴダールを語り尽くす。その姿勢は(大学の先生らしく)緻密で真面目、悪くはないし、(佐々木さんご自身もお好きらしい)“ラジカル”でもあるのだが、どこかお行儀良すぎて面白味に欠ける、というのが読後の印象、感想だ。
それでも幾つか触発されたことがある。
その1:カメラのこと。
『さらば、愛の言葉よ』のエンドクレジットには、キャスト、スタッフなどに加えて撮影に使われたデジタル機材が表示され、Canon Fuji Sony GoPro など、馴染みの名前が並んでいる、と本にあった。なんだ一緒じゃん。世界のゴダールも、われわれ極東の無名貧乏映画人も、少なくとも同じ機材・同じような武器を持ってこの世界を捉えようとしていることを知った。腕前の差は棚に上げて、地続き感を感じて、ちょっぴり嬉しくなった。
その2:キャメラマン
前作『ソシアリズム』からカメラを回すのは、もともと助監督を務めていたファブリス・アラーニョだ。助監督がキャメラマンに転身するなんて昔は考えられなかった。演出部は演出部、撮影部は撮影部、それぞれが親分子分師匠と弟子の関係、徒弟制度、長い修行を経て一本立ちしていくというのが道だった。それが様変わりしている。去年(こぞ)のラウル・クタール今何處(いずこ)。職能の横断・転移。その軽やかさ・自在さ。
機材の進化=軽便簡易化と職能序列の解体‥功罪半ばだろうが管理人は“買い”だ。
それにしても、ゴダールのベラボーには恐れ入る。やってくれるね。
無頓着にして緻密。大胆にして細心(最新・最深・砕身)そんな言葉が浮かんできた。