2ペンスの希望

映画言論活動中です

現在地

ウエルメイド:良く出来た仕立てのいいものよりも、誰もまだ見たことのない「新しさ」に惹かれる。そんな思いが募る中、島田一志さん(1969生)編集の本『マンガの現在地! 生態系から考える「新しい」マンガの形』【フィルムアート社2015年10月 刊】を読んだ。
雑誌媒体の凋落に危機意識を持つ三十代四十代のマンガ編集者・ライター・漫画家たちの発言をあつめたものだ。
みんな気づいているはずなのに、どこかフタをしてしまっていて」そう語る島田さん。
ソフトが変わるからハードが変わるのではない。ハードが変わるからソフトが変わる」「いま「変えてやる」と意気込んでいるような人ではなくて、いまのマンガを何も知らない世代が悠々とすべてを変えていくんじゃないかな」 「これは「何々じゃない」と言われたものほど次のメジャーになりうるもの太田克史さん(1972生)「新しい方法論を新しいと思わない作家が出てきたとき、マンガ表現はまた違う次元へ飛躍する」浅野智哉さん(1973生)
主戦場が変わり、細分化・クラスター化が進み、ごく狭い界隈での局地戦しか望めなくなっていく中、「プラットフォームをどこに置くか」「エージェント重視(プロデューサー・エディターではなく!)」「キャラクター命(「重要なのはキャラクターであって、ストーリーじゃない荒木飛呂彦)」「紙芝居の時代から、赤本・貸本・漫画週刊誌時代を経て現代まですべての媒体を横断してきた唯一の存在が、「鬼太郎」という強烈キャラの生みの親・水木しげるという事実は示唆的」そんな記述も見える。
デジタル画材全盛時代の中、「水木しげるの点描、つげ義春諸星大二郎のぬめっとした湿度の高い線、大友克洋の妄執的な描き込み、藤田和日郎のデッサンの崩れた表情、コントラストの効いた上條敦士の人物と背景、柔らかさと固さふたつの異なる印象を与える高野文子の線。ようは筆致!‥‥手書きとは怨念です。」 (吉田アミさん) と
いう往年のマンガ好きにはたまらない一節もある。(マンガに詳しくない方 <(_ _)> )
それにしても、見たことも聞いたこともない「新しいマンガ家」がわんさか出てくる。これには参った。それでも「わからないものに対して謙虚であること」(小田嶋隆「ア・ピース・オブ・警句」2015年12月4日文末)は終生手放したくない。
今までの映画に最大限の敬意を払いながら、これからの映画に向かいたい。歯応え豊かに味蕾を刺激する「新しい」映画に出会うことを願う。
言わずもがなだが‥「新しい」映画は、新作に限らない。旧作の中にこそ宝物は眠る。(いかん、発見主義・発掘主義者の言い草に似てきた‥いかん、遺憾。)