2ペンスの希望

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見られるようになってしまったために‥

頻繁にではないが、間歇的にふや町映画タウンのO店主さんと会っている。ふや町映画タウンは、(何度か書いてきたが、)京都のど真ん中にある旧作映画専門ビデオレンタルショップだ。VHSしか置かない。今どき奇特なお店。邦画の品揃えは世界トップクラス知る人ぞ知る超本格。URLは、こちら⇒http://dejan.dyndns.tv/f_eigatown/
会うたびにO店主からは刺激的な話を聞く。最近印象に残った話をひとつ。
見られるようになってしまったために、見られなくなってしまった話。
ビデオテープやDVDが普及して以来、誰でも何時でも、自由に遡って映画を見ることが出来るようになった。(ちなみにO店主は、その洗礼を受けた第一世代。)  名作・傑作よりどりみどり。ソフトさえリリースされていれば、デビュー作から遺作まで一人の映画作家の全映画を渉猟・制覇することも比較的容易に可能だ。 昔は違った。
先達たちが褒めそやした映画も映画館にかからなければ見られない。お目当ての監督さんの映画を見ようと思えば、首を長くして待たねばならない。見逃したら最後 今度はいつお目にかかれるか‥覚束ない。大量生産されるプログラムピクチャーの海で、お気に入りではない多産作家の凡作にも付き合わされる。 嫌でも色んなものを見る羽目になる。そんな中、溺れながら、うんざりしながら、思いがけない拾い物、はっとするような目っけ物に出会うことがあるのだ。期待しないで入った映画館で見た添え物映画が掘り出し物だった喜びが、なくなってしまった。よりどりみどりなのに見ない。早いうち、若いうちに自分の好みを絞り込み、守備範囲を狭めて、他の物には目もくれない。見たことの無い物、聞いたことも無い物には手を出さない。コスパが悪くなるので、無駄や寄り道はしない。この不幸 この狭量。そのツケが回ってきているという話だった。納得。
浴びるように見る中で鍛えられ育ってきた力が‥‥萎えていく。