久しぶりにふや町映画タウンのおーもり店主さんと四方山話をした。
アニメ映画と実写映画、何がどう違うのだろうという話。
おーもり店主:アニメって一から百まで全部作り手がコントロールして作れる。観客は、その意図をどこまで正確に読み取り理解できているかを競いがち。どこまで深く正確に作者の意図・狙い・表現を受け止められるかが勝負になる傾向あり。つまりは ❝答え合わせ❞ になりがち。
実写映画はそうじゃない。作り手の狙い・意図・意識からはみ出して、映ってしまったものを受け手が受け止めて勝手に解釈して感心したり驚いたりすることがある。やすやすと作り手の意図を超えて行く。
私:確かにそう。アニメは都合の良いとこだけのイイとこどり。不要なもの・余計なものは排除できる。無色無臭のプラスチックの成形品。無味乾燥。温度も湿度も感じられないので苦手。
おーもり店主:アニメは作り手も受け手も全員一致の百点満点を目指してる?
私:実写映画は、百点どころか二百点超えときには四百点に化けることも。たまには六十点満点の映画なんてのもアリエル。もっといえば、❝答えなし❞かも。
おーもり店主:昔、デビッド・リーンが来日し淀川長治さんがインタビューした時のこんなエピソードが残っている。
《監督が大好きで高く評価してる淀川さんが「『旅情』でベニスにやってきたキャサリン・ヘプバーンが乗る列車の車窓に水滴が付いていて、さすが水の都ベニスらしいイメージ演出で秀逸」と褒めたところ、D・リーン監督は「そんなの映っていたっけ」とこたえた。》
いいなぁ、ソフィスケイトされたビターな大人のやり取り!!
以下は、帰宅後の管理人の反芻。
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アニメは⇒100%コントロール可能な専制独裁支配。見せたくないものは見せずにカットOKのソフトフォーカス。気持ち良い香りや匂いだけをセレクトして心地よい刺激のみのデオロラント効果。とどのつまりは、自在で窮屈な❝答え合わせ❞グッズ。テーマパークのアトラクション。
実写は⇒不意や不用意許容の有機過剰体。見えないものまで見せてしまう。見たくないものまで見えてしまう。とりわけ撮影所時代のセット撮影でなくロケーション中心になってますます現場の空気が映り込む傾向。好ましくないイヤな臭い、悪臭・腐臭が漂うことも。つまりは、窮屈で自由な❝答えなし❞案件。現地丸ごと体験旅行。火傷もするし後遺症・アザものこる。いつまでたってもシミが取れない。
ということで‥やっぱり、アニメは苦手だ。多分死ぬまでその面白さを知らずに行きそう。とはいえ瀬尾光世の『桃太郎 海の神兵』1945年 は大好物。なんともいい加減なご都合主義者=なんでもアリのエエとこどり派=ノンセクトラジカルなのだから始末におえない。正真正銘食えない難物! 無原則な原則主義者?