2ペンスの希望

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編曲家

音楽は、若い頃からからっきし駄目だった。聴くのはキライじゃないが、譜面は読めないし、楽器も弾けない。
(何、けっこう三味線も弾くし法螺も吹くじゃないか、なんて冗談は無しでお願いする。)
最近勧められて読んだ一冊『ニッポンの編曲家 歌謡曲/ニューミュージック時代を支えたアレンジャーたち』【2016年4月 DU BOOKS刊】は面白かった。
序文にはこうある。「編曲家って何をする人なのか、いまいちよくわからない、という人も少なくないのではないだろうか。曲を編んでいく職人‥‥レコーディングされるすべての楽器のパート譜を書き、時には歌メロよりも印象的なフレーズでメロディを引き立たせる。‥‥誤解を恐れずに言えば、作詞や作曲は誰にでも、真似事レベルならできてしまう。しかし、編曲はそうはいかない。メロディを楽曲へと昇華させるノウハウと、確かな音楽知識、各楽器への造詣、そして、センスが不可欠である。」 編曲家はじめ、仮歌(ガイドボーカル) コーラス隊までを含めたスタジオミュージシャンたち、、レコーディング・エンジニア(ミキサー)‥‥無数の技術者たち、「裏方」スタッフが切磋琢磨していた1970年代後半から80年代90年代の記録本だ。「この時代の音楽は、実は強烈なあらゆる個性のぶつかりあいの上に成立していた。」
時代は変わった。
DTM(デスクトップミュージック)。打ち込み全盛、楽器なんか弾けなくったって音楽は出来る。個人作業による自宅引きこもり、一人オーケストラの時代。
映画も音楽も張りぼての一人芝居では、淋しく痩せていくばかりだ。