2ペンスの希望

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ドス訳比較

字幕屋太田直子さんは、中二のときに『罪と罰』にはまって以来筋金入り、知る人ぞ知る ドストエフスキー・フリーク。『ひらけ! ドスワールド―人生の常備薬 ドストエフスキーのススメ』という本も出している。【2013年 AC BOOKS】
その中こんな一節があった。
試みに『地下室の手記』のごく短い文を例にとって、既訳と試訳の「丈くらべ」をしてみたい。原文はわずか十五単語から成る一センテンスである。
  ■彼は穏やかな良心どころか、さながら勝ち誇れるがごとき良心をいだいて死んで    いったが、それはまさに当を得たことといわねばならぬ。(米山正夫訳)
  ■そして、良心安らかに、というより、むしろ得々として死んでいった。そして、それは   それで、まったく正しいことにちがいなかった。(江川卓訳)
  ■死ぬときも、奴の良心は少しも騒がずに安らかに、どころか、勝ち誇ったように死    んでいったのだが、それでまったく正しかったのだ。(安岡治子訳)
  ■そして心安らかに、いや、それどころか、誇らかな良心をいだいたままこの世を     去った。それはそれで文句なしに正しかった。(亀山郁夫訳)
  ■最期は、安らかどころか得々として死んでいった。これぞまさしく正解である。
                              (太田直子試訳)
 どの既訳も六十字前後なのに対して、最後のわたしの試訳は三六字。このちがいはなんなのか。けっして無理をして短くしたわけではなく、できるだけ原文に忠実にふつうに訳したつもりなのだが、異様に短い。これでは読み物として不親切でそっけなさすぎるのだろうか。

さらにこの直前には、
文芸作品の日本語訳は、原文のニュアンスを細かく伝えようとするあまり、過剰に字数を使っていないだろうか。外国語と日本語では文の構造や発音のしかたが異なるので、一概に文の長さでは比較できないにしても、たった半行の原文に対して和訳が三行もあると、説明過多・脚色過多ではないかと思ってしまう。実際、わたしが試しに原文を直訳してみると十中八九、既存の訳書より短くなる。もちろんわたしは文芸翻訳に関しては素人だ。文芸翻訳ならではのコツや配慮があるのかもしおれない。日本語の読み物として読者に作品の本質を伝えるには必要な努力なのかも‥‥。それにしても長い。」とある。
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一秒=四字。一秒のセリフは四文字までで表す。映画字幕の鉄則の一つだ。
どこまで贅肉をそぎ落として豊かなニュアンスを伝えるかに心を砕き身を削ってきた太田プロならではの秀逸を讃えたい。