2ペンスの希望

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今は昔‥日曜映画監督

もとより、ピカソもいれば日曜画家もいる。絵手紙もあればアール・ブリュットもある。
映画も遠からずそうなるのかもしれない。よく分からないが‥。誕生から、産業であり、技術でもあった映画は当初はプロだけが携わる世界であった。アマチュアの世界がなかったわけではない。まだ8mmカメラとフィルムがポピュラーだった頃には、小型映画と呼ばれる同好会が盛んだった。専門誌もあった。ビデオの時代になり、さらにデジタル化が進んで、裾野は一気に広がった。週末や休日の日曜映画監督も可能だ。若者向けの映画ワークショップ、子どもたちのための映画制作教室も増えた。
何度も書いているが、それが駄目だというのではない。以前
吉田健一さんはこんなことを書いていた。(「大衆と文学」みすず書房『友と書物と』2002年刊 所収)
言葉を使って人を動かすことが出来ればそれが文学である。そこには低級と高級の区別もないのであって、一人の人間を動かす言葉が低級である訳がない
映画に置き換えて読んでみて欲しい。
ただ閉じてしまって仲間内で楽しむだけのものに成り下がって欲しくないと願うだけである。以前に「作りやすくなった。けど、食えなくなった」と書いた。色んな意味でプロが成り立たなくなっていることを憂えるのだ。撮影所があった時代、四六時中映画のことだけを考えて精進する人々が沢山いた。それでメシを食っているのだから当たり前のことだ。その当たり前が消えて、一日二十四時間映画のことだけを考えるのが難しくなった時代に生きているのではないか、そう思う。
明日は明日の風が吹く、と暢気ではいられない。

ミソもクソも一緒とか、玉石混交ならまだしも、日本の映画の「液状化」が進んでいる。映画百年の蓄積が無化され、プロフェッショナルの経験と技が立ち枯れようとしているのでは‥そんな不安が消えない。

まだ暫く続けます。