2ペンスの希望

映画言論活動中です

左前

若い監督のデビューラッシュが続いている。学生監督がメジャーデビュー大抜擢!なんて活字が躍る。ちょっと前には、日本映画史上最年少14歳の現役中学生監督が話題になった。それでいいならいいけど、おじさんブロガーとしては、う〜ん、ちょっと待ってよ、と言いたくなる。
それって、中堅ベテランの仕事を奪ってるだけじゃないの、とも思う。プロに仕事を頼めば応分の(たいした額じゃないと思うけれど‥余談)ギャラを支払わなければならない。若くて映画を撮りたい連中は沢山いる。箸棒もいるが、中には小器用もいる。メジャーで撮らないか、と声を掛ければ、二つ返事で乗ってくる。ギャラも少なくてすみそうだ。話題にもなりやすい‥‥そう考えるプロデューサーが居てもおかしくい。かくして、一本撮ってハイオシマイ。二本目が撮れないで、お払い箱、なんて例がゴロゴロある。典型的な使い捨て。彼らを育てようという思いがゼロだとまでは言わない。でも、監督なんてそこそこでも、脇のスタッフをプロでがっちり固めれば、何とか映画は出来る、とくだんのプロデューサー氏は思ってはいないだろうか。厄介なことに、過去そうやって出来てきた映画も少なくない。最近でこそ目立たなくなったが、小説家やミュージシャンが「映画」を作ってマスコミの話題になるケースは一杯ある。お飾り監督っていう奴だ。作家や音楽家はいい。いやぁ映画って難しい、いい経験になりました、と本業に戻って稼げばいいのだから。
一本撮った(撮ってしまった・撮らされてしまった)監督はどうなるのだろうか、おじさんは心配になるのだ。自己責任・自助努力。その通りなのだろう。チャンスはやった、あとはキミ次第、というオトナ。

最近やたらと増えた映画学校。そこで教える先生がそこで学ぶ学生を映画の現場スタッフに使う例も増えている。学生に本物のプロの映画現場体験を!といえば聞こえはいい。学生諸君にとっては願ってもない経験だろう。インターンシップなんて口当たりのいい言葉もある。しかし、それだって、視点を変えれば、プロの仕事を奪っているだけじゃないの、ということになる。そんなの競争社会なんだからあたりまえじゃん、と言われそうだが、そうやって、プロの仕事と技術が目減りしていくことのツケがたまっていく。

映画館のボランティアスタッフ募集というのも、解せない。
賃金は出せないけど、好きな映画の仕事を体験するチャンスですよ、ということなのかもしれないけど、それって、バイト料は払わないけど働いてよ、ということでしょ。そんなことアリ?!

先のプロデューサーや映画学校のセンセや映画館の皆さんを
槍玉に挙げてあげつらいたいわけじゃない。事程左様に日本の映画は追い詰められ左前なのだ。それでしか成りたたなくなっているということ。それほど不健康、もはや病気、それもかなりの重症だ。

じゃぁ、どうすれば良いのか。妙案・妙薬を持ち合わせているわけじゃない。心ある人には、是非一緒に考えて欲しい。
乞う 投稿。