2ペンスの希望

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他山の石

関西の演芸評論家相羽秋夫さんがラジオで上方落語について語っていた。
少し前からぼんやりと「日本の映画の近未来モデル上方落語かもしれないなぁ」なんて考えたりしていたので、思わずラジオに聞き入った。
上方落語は戦後しばらく絶滅危惧種だった。その後、命を吹き返して、今は協会所属のプロの落語家が二百人を超えるまでに盛り返した。永らく途絶えていた常打ちの小屋も定着した。大小取り混ぜ、地域落語会も、あちこちで定期的に開かれている。大学落研の活況、裾野の広がり。中堅の健闘。若手の台頭、‥。
しかし、相羽さんの点は辛かった。
最近の落語家は、ギャグや小話(こばなし)、くすぐりで笑いをとろうとしすぎる。落語の芸は本来話の展開で笑わせるべきものなのに、というのだ。(そういえば去年亡くなった立川談志は、落語は人間の業を笑いで肯定するものだ、とよく言っていたっけ)
落語専業の常打ち小屋が出来たことは慶賀の至りだが、それにも又、功と罪共にあると相羽さんは指摘する。同じような落語家が十数人も並ぶと、どうしても悪目立ちに走ろうとする。一発芸やギャグに笑う客も悪いが、落語家自身の勘違いもはなはだしい、と手厳しい。

他人事ではない。
日本の映画界は、ここ数年“邦高洋低”が続いていると云われる。日本映画製作者連盟の統計によると、確かに年間の公開本数も興行収入も邦画が洋画を上回っている。今 日本の映画が元気だ、といった記事も見受ける。しかし、本当にそうなのか。お子様ランチかウエハースのような映画が目立つ昨今の映画が、本来の“芸”を見失っていないとは誰にも言えない。ご存知だろうか。邦画も洋画も取り混ぜた我が国の映画の年間興行収入は、都心のターミナルにある百貨店一店の年間売り上げにも及ばない程度の数字なのだ。
全国津々浦々の映画館の興行収入をすべてかき集めても、伊勢丹新宿本店一店にすら及ばないのである。それも三十年以上前からずっとそうなのだ。【2011年12月集計伊勢丹新宿本店年間売上2633億円>2011年映画興行収入全国集計1812億円】

ごく限られたファン、愛好家に支えられてそれなりに元気、そこそこ食えてる(?)古典伝統芸能としての上方落語。閉じた世界・狭い料簡、仲間内での自足、‥‥う〜む。
他山の石。肝に銘じておきたい。