2ペンスの希望

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入魂の一球をこそ

芳しいことではないのだが、新作よりも旧作に感心することの方が圧倒的に多い。「そりゃあ年のせいだろう、感受性が鈍くなってるから‥」「いや確かに昔の映画のほうが作りも出来もしっかりしてる、けど、新作も見なくっちゃ話しにならない」などと、外野は様々だ。しかし、これだけは間違いなさそうだ。

作り手がストライクゾーンを狙いすぎていること、高をくくっていること、この二つだ。
今の客は難しすぎると敬遠する、だからここらあたりまでにしておこう、どうせ高級なものなんて分かりっこないんだからお茶を濁しておいて大丈夫、なんてのが罷り通ってる。
観客の質が落ちたから映画の出来が悪くなったのか、
映画の出来が悪くなったから観客の質が落ちたのか、
不毛ないたちごっこは、昔からあった。作りやすくなったとはいえ、映画にかかるお金は小さくない。失敗は出来ない。
けど、作り手の腰が引けていて、観客が育つわけがない。暴投、悪投、危険球が、バッターを奮い立たせることもあるのだ。渾身の思いを込めた剛直球に息を呑む、そんな出会いを求めてバッターボックスに立つのに、どうぞ打って下さいといわんばかりのゆるい球やへなちょこ球を投げ込んできて、いやぁスカッとしました、泣きましたと満足する観客に、さすがお見事と刷り手揉み手の作り手たち。これでは、バッティングセンターと同じではないか。いや、映画館=バッティングセンターでなにが悪い、といわれればその通りだが、機械(のような手)から投げられた球より、いつの世も、入魂の一球を見てみたい。それが映画だと思いたい。(だからなのか、アニメや特撮、コンピュータグラフィックスが苦手だ。偏見だとは重々承知しているつもりなのだが‥狭量 蒙御免)