2ペンスの希望

映画言論活動中です

notes 2 フラット

《ご近所大長征》note−第二は、「フラット」

徹底した相対化に努めること。絶対化しないこと。不要な権威は一切認めないこと。
つまり、すべてのものをフラットに位置づけ、捉えることである。

上下でなく、横並び。優劣ではなく、役割分担。軍隊ではなく、チーム。
名刺や肩書きを有り難がらないことだ。反ピラミッド型 反ヒエラルヒー組織形態。
言い換えるなら、イコール イーブン 五分五分 対対(たいたい トイトイ)

上下の方がかえって楽チンなこともある。上に立って見下ろしたい人も多い。下にいる方が目立たなくて責任を負わなくて済むし、気楽でいい、と言う人もいる。
フラットであることには、それなりの覚悟が伴うのだ。しんどい。サボれないし、怠けられないということもある。
そもそもからして、映画は終身雇用的ではなく、一回性のプロジェクトスタイルだ。ことに臨んで集まり、終われば「撤収」する。絶対も永遠もない。だから良いとも言える。
監督がエラクて、助監督はエラクない、なんてことではないのだ。監督には監督の仕事があり、助監督には助監督の仕事がある。どちらもプロ、半端では出来ない。だからフラットを旨とする。
作り手の方が上で、観客は見るだけなので下、というのも違うと思う。
田宮虎彦の言葉をあらためて引用する。「作家がひとつの世界を作り出すように、読んでいる場合もそれを材料に自分で解釈し組み立てて世界を作るわけだから、《読者の文学》があり得る、少なくとも私はそうおもっている
《読者の文学》に準(なぞら)えれば《見者の映画》もある筈だ。というのである。
いいなぁ。