2ペンスの希望

映画言論活動中です

古典(スタンダード)

どんな世界にも、基本となる《背骨の技術》と、時代を超えて古びない《古典》(スタンダードナンバー)があると思う。何らかの形で人間と社会(人の世)の真実を伝えている表現物は、時代を超えて愛され続ける。とりわけ文学や音楽の世界ではそうだ(った筈だ)。事情は映画も同じ。映画館に出掛けてスクリーンで観るしかなかった昔ならいざしらず、保存・個人所有も容易になった今、古典や基本技術に触れることは、やり易しくなってきた。なのに、見向きもされなくなっている。
みんな自分とその周りのことにしか目が向かないのか、広いところ・遠いところへの関心が薄らいでいる(ような気がする)。「村」化、「たこつぼ」化、「仲間うち」化。全体像を希求することが乏しくなっているようだ。世界の断片化、単純化。目先の大量宣伝・物量作戦の新作には反応しても、数ヶ月前の映画はもう忘れている。目の前に差し出されたものを高速で消費する、そんな時代だといえばそれまでだろう。
しかしである。
ことさらに、古典だとか、基本だとか言わずともフツーに娯楽・慰安として楽しめる映画がわんさか眠っている。
騙されたと思って、昔の映画(ちょっと前の映画、ズーっと前の映画、生まれる前に作られた映画)を見直してみて欲しい。
‥‥と、今日は、嘆き節・お説教モードでした。