2ペンスの希望

映画言論活動中です

notes 7 単純原則を

《ご近所大長征》note−その七は、「単純原則を」

今日は、日本の映画「嘆き節」、少々覚悟してお付き合いを!

先立つものがないと弱気になるものだ。
周りを見渡してみても、お先真っ暗。残り時間も多くはなさそう。
そこで、乱暴だが単純な条件・原則を設けて、縛りを入れてみてはどうだろうか。
例えば、
「資金を回収出来なければ、次回作は無し」
「タダ働きはしない させない 赦さない」 
   というのはどうだろう。
一つ目の原則は、「収支をハッキリさせて次につながらなければ、新作を作ってはいけない」ということ。いやぁ、現場は楽しかったし、儲からなかったけれど意義のある試みだった、とか、「元気を貰った(?)」し、お金のことはまあいいか、とか。映画なんて所詮は「遊び」(或いは「文化」?)、お金のことをトヤカク言うのは野暮、とかとか、あれこれ理屈を述べ立てることも可能だろう。けど、野暮で結構。無粋上等。「遊び」だからこそ、豊かにきれいにいきたいものだ、中身もお金も。
二つ目の原則は、「タダでは動かない」ということ。
自主だからボランティアで、とか、見返りは求めない、体験はプライスレス、だから体験できただけで十分、とかとかは、無しにしたい。モチロンすべてをお金に換算する必要などサラサラない。しかし、「対価」をうやむやにしたこき使いを自分にも他人にも認めてはいけない、そう思う。曖昧さが曇りを生み、プロを阻害している(疎外している)ことに、いい加減気づいたらどうだろうか。
うぬ、何を言ってるのかサッパリ分からん、というアナタ、映画に胸をときめかせたことがおありなら、たまには頭を使ってものを考えてみても‥‥。
おっと、嘆き節のつもりが、喧嘩を売っているようになってしまったみたい。反省。慙愧。