2ペンスの希望

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真正「映画人」

昨日に続いて 文学関連の話を‥ひとくさり。
小説や詩、文学界では、十代二十代で何がしかの受賞を果たし、デビューする作家が少なくない。若くして世に出た作家が不安と不安定さゆえに、期待と人気に押しつぶされて早々に潰れていく(潰されていく)例も無きにしも非ずだ。話題性優先という売り方も問題だろう。
映画の世界でも同じような例には事欠かない。
インディペンデントで作った映画が、ごくごく狭い「エイガ村」でそこそこ話題になり、聞きつけたメジャーが大抜擢、新進気鋭、期待の大型新人監督登場という筋書きだ。(安く使えるとか、御しやすいとか、裏には大人の理由も見え隠れするが、ここでは触れないが)その後、第二作、第三作が撮れずにくすぶる監督がどれほどいることだろう。
文学の世界では、
人知れず黙々と書き続け、苦節ウン十年、五十代六十代になって突如脚光を浴びる例もある。本業は別に持ちながらの単独行(単独工?)。
映画ではあまり聞いたことがない。
映画の共同作業性故なのか、エネルギー・体力の注ぎ方の違い故なのか、はたまた、映画が本源的に持つ(といわれる)〈青春性〉故なのか、よく分からない。
日本のどこかで、ひっそりと人知れずこつこつと腕を磨き映画を作り続けている年配の「映画人」(狭いエイガ村=業界とその周辺とは無縁に、真に映画を生きてきた「映画人」)が埋もれていないだろうか。何をまた、やくたいもない妄想を‥といわれそうだが。
そういえば昔小型映画愛好会といった8mm映画のアマチュアマニアの会が全国に存在していた時代があった。ここでの妄想は、彼らの末裔のことではない。もっとスケールの大きな世界レベルの逸材のことだ。自給自足でもいいが、自閉していない「映画人」よ、出でよ。