2ペンスの希望

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These1: 道と経済の合一

予告どおり、暫く「新しい日本の映画のために」と冠したシリーズを始める。
シニシズムニヒリズムとは無縁に、健全に健康に行きたい。
といっても、脱線、暴投、あれ球 必至。ご容赦願う。

新しい日本の映画のために
These1は、「道と経済の合一」

吉本隆明さんは、「25時間目」を作ってやるべし、と言った。分からぬでもないが、24時間の中でやる方がずっといい。そう思う。イマドキの流行り言葉で言うなら、「リア充」。
いや、自分たちが作りたいものをつくるんだから、ノーギャラで‥
作品はプライスレス‥ 体験や感動はお金に代えられない‥
自主制作、自主映画(この言葉もなにやら気持ち悪いのだが‥)の世界でよく耳にする言葉だ。口当たりは良い。しかしロートルは思うのだ。応分のギャランティーは取るべきだろう、と。監督もプロデューサーも脚本家も!(とりあえず額の多寡は不問に付すとしても)
応分の人件費・ギャラも加えた制作費+PA費の合計実費を回収できるような設計図を描くべし。それが出来なければ作らない、そんな禁欲・縛りを入れてみてはどうだろうか。なんと理不尽な、というかもしれない。自分の裁量で、身銭を切ってやるんだからいいじゃないか、放っておいてくれという声も聞こえてきそうだ。しかし、だ。
言葉はいささか不穏当に過ぎるかもしれないが、
ずるずるのゆるフンでマスターベーションみたいな映画をいくら作ったって
ゴミの山が増えるだけだろう。
ボランティア、手弁当が美しいなんて一体誰のセリフだ。
そんなものは自足・自己満足・出来損ないの言訳材料でしかない。
何でもお金で解決できるなんて、サラサラ思わないけれど、銭の取れないような映画はやっぱり駄目なんだと思う。
ちゃんと作って、キチンと回収する。それがなければ、一回一回の打上げ花火。楽しい遊びではあるだろうが、「社会化」しない。
道と経済の合一。これを忘れたら、堕落と自己弁護の坂道を転げ落ちるだけだろう。
初級のたしなみだと思うが如何。