2ペンスの希望

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「学校」としての短編映像

『日本短編映像史―文化映画・教育映画・産業映画―』を読み終えた。岩波映画の故吉野馨冶さんの振る舞いを通じて、著者吉原順平さんが一番書きたかったのだろうなと思わせる箇所にぶち当たった。大いなる誤解・錯覚かもしれないが、挙げておきたい。拙管理人も永らく手掛けてきた「短編映像」について、吉原さんはこう記している。
「短編映像」は、映像素材を構成し短時間で明確なメッセージを伝達しなければならない。経済規模は小さいから、新人登用の機会にもなり易い。委託製作の場合も多いから、注文に応じて様々なテーマとモチーフを扱わなければならないし、適切な伝達のために発注者とも議論を重ねる必要がある。記録的な方法をとるものが多いから、撮影対象を自在にコントロールすることは難しく、対話を通じた対象への理解が重要になる。映像表現を学ぼうとするとき、こうした課題と実地に向かい合う経験は欠かせない。それを軽視すると、最近の長編自主作品に時折見かけるように、未整理の思いの丈を長々と綴る作品が生れることになる。映像メディアの製作が作者への共感を拡げるためのコミュニケーション活動であるならば、支持者たちの間の自閉的な満足ではなく、支持していない多くの人々への有効な語りかけこそ追求すべきは自明で、それを忘れることは、仕様書をなぞっただけの受注作品に終始するのと同様に、製作者にとって自滅的である。
岩波書店2011年11月29日刊『日本短編映像史―文化映画・教育映画・産業映画―』第六章「短編」を越えて―製作者たちの模索する未来 1 短編委託製作の難しさー岩波映画・吉野馨冶の志と現実 「学校」としての短編映像の現場ー事実を組み立てて簡潔なメッセージを 481〜482頁)
同輩はじめ、ビデオ世代、若い自主映画世代に味わって読んでもらえれば有り難い。